シンクタンクからの眼 2025年12月22日
「箴言」を読み、笑い、考える.『Wisdom Columns』
今回は『賢者コラム Wisdom Columns』として、「知の巨人」として広く知られ、多くの人々を啓発し導いてこられた紺野大介先生の寄稿文をご紹介いたします。
「箴言」を読み、笑い、考える.__La・ロシュフコー、芥川龍之介、A・ビアス、そして__
書き言葉には政治性があり、話し言葉には社会性がある__といわれるが今回は先人たちの「箴言」の言葉に触れ、人間の尊厳や失態に関する倫理的視座から、心の在り方を基軸として「生きるって何だろうか」について少考してみたい。
1980年代、通産省工業技術院大型国家プロジェクトの国家間技術提携先であったフランスを訪問して以来45年間、幾度となくこの国を訪れた。会議が終わりDinnerでは食後のワインとチーズまで含め4時間、5時間をかけての会食はザラ。この間、政治、経済、科学、哲学、社会現象、教育制度などあらゆる話が議題に上る。こうしたいはばdebate(討論)の場で、自分の意見、考えを明確に述べられない御仁は子供扱いされるのは普通である。
対話上手という面からフランスを見ると、リセ(高等学校)の教育の依存度が大きいだろう。普通のリセの最終学年は、一般に「哲学級」と俗称される特別な教育がなされる。筆者の知る限り、おそらく国際的にみて、イギリスやドイツ、アメリカ等と比較しても決定的に異なる教育システムである。フランスのリセでは、文学系進学コースでは週8時間、経済系進学コースでは週5時間、理工系進学コースでは週3時間、毎週「哲学」の受講が必須。例えば 『意識とは何か』、『情熱とは何か』、『他人とは何か』、『時間とは何か』…といった個々の概念の厳密な定義から始まり、そこから物事を分析し、どう論理展開するか、哲学の上級教授の有資格者により徹底的になされる。17~18歳の高校生の段階で、例えばベルクソンの言葉 『人は過去の奴隷なのか?』 についての哲学の試験に、論理的に回答することは極めて難題であろう。哲学を修得することで、人間とは多様な生き物であり、考え方も感じ方も違うのが当然である__との考え方が萌芽される。これらから人間の最大の価値は個性であり、日本のように「以心伝心」や「暗黙の了解」などはあり得ない社会なのである。
個々人が違う生き物であれば、相手を如何に説得し、自己の考え方を納得してもらうかが、社会生活上最も大切なこととなり、自分の意見が他人と同じであることを極端に嫌うのだ。いつぞやフランス人科学技術者との会食中に 「正しい先入観というものはあるでしょうか?」__と唐突に問われ、とても料理を味わえなかった経験などもしてきた。
また同時通訳を業とするフランスの親しい友人がいる。彼はディスカールデスタン、ミッテラン、シラクの三代の大統領に仕え、G7(先進国首脳会議)をはじめUN(国際連合)、IAEA(国際原子力機関)、WHO(世界保健機関)、INTERPOL(世界警察機関)、FAO(食糧農業機関)、ITU(国際電気通信連合)、「先進八か国対テロリズム会議」などの同時通訳をこなしてきた。彼もリセで哲学級を履修してきたわけだが、伝統、文化、価値観を背負った各国の領袖との会談中、切れ者の大統領になるほど凝縮された警句や箴言の言葉の使い方が上手いと述べていた。特にフランス・モラリスト文学の最高峰、ラ・ロシュフコー(F.La Rochefoucauld:1613~1680)の『箴言集』等が多用されるようだと。
人間への観察力と痛烈なアイロニーと簡潔さが人々の注目を強く引くからだろう。
古くは旧約聖書の『箴言』、孔子の『論語』他多数の箴言があるけれども、誤解を恐れずに言えばラ・ロシュフコーの代表作『箴言集』は、説教的で半ば道学感が漂う人生訓とは比較できない程で、辛辣な洞察と重い律動感を伴って人間の心理をえぐる。17世紀貴族の中でも特に名門の出自、剣の貴族の武将たるべき教育を受けた。また三十年戦争などで生涯三度の名誉の負傷も体験したラ・ロシュフコーの最高傑作である本書を直訳すれば「人間考察もしくは処世訓/箴言」。哲学的論考の形式を取らず、体系や説明を気に掛けない断章形式の独特の非連続的な文章を綴り続けたもので一般にマキシム(Maxime)と呼ばれる。J=J・ルソーからサルトルに至るまで高名な知識人の反発や、怒り、苛立ち、槍玉にあげられる光栄に浴してきた挑発的な古典である。即ち才気は“語気や抑揚で違いができる”という意味深長な言葉は、彼等の上をいく程のしたたかさで人間の心を貫通する感が強い。約500もある箴言の一部を引用すると、
*我々は皆、他人の不幸には充分耐えられるだけの強さを持っている。
*我々の美徳は、殆どの場合、偽装した悪徳に過ぎない。
*人間の幸不幸は運命に左右されると共に、それに劣らずその人の気質に左右される。
*愛し合わなくなった時に、愛し合ったことを恥ずかしく思わない人はめったにいない。
*称賛を固辞することは、もう一度誉めて欲しいということである。
*心中得意になることが全くなければ、人には殆ど何の愉しみもなくなるだろう。
*恋人同士が一緒にいて少しも飽きないのは、ずっと自分のことばかり話しているからである。
*死を解する人はほんの僅かである。人はふつう覚悟を決めてではなく、愚鈍と慣れで死に耐える。そして大部分の人間は死なざるを得ないから死ぬのである。
*短所で引き立つ人もいれば、長所で見劣りする人もいる。
*自分の妻のことはめったに語るべきでない、ということなら人はかなりよく知っている。
しかし自分自身についてはなおさら語るべきでない、ということを人はあまり知らない。
*物事をよく知るためには細部を知らねばならない。そして細部は殆ど無限だから、我々の知識は常に皮相で不完全なのである。
*少しも尊敬してない人を愛するのは難しい。しかし自分より遥かに偉い人を愛することも、それに劣らず難しい。
*人は敵に騙され味方に欺かれれば悔しくて仕方がない。そのくせしばしば自分自身に騙され、欺かれて悦に入っている。
*大部分の女が友情に殆ど心を動かされないのは、恋を知った後では友情は味気ないからだ。
*我々は自分と同じ意見の人以外は、殆ど誰のことも良識ある人とは思わない。
*凡庸な素質を上手に引き立てる器用さは、人々の尊敬をまんまとせしめ、しばしば本当の偉さ以上に声価を高める。
*他人の虚栄心が鼻持ちならないのは、それが我々の虚栄心を傷つけるからである。
*大恋愛をしたことのある人は、その熱病から治った自分を、終生幸福とも不幸とも思うものである。
*我々は、どれほどの恥辱を自ら招いたとしても、殆ど必ず自分の力で名誉を挽回できる。
一方、学生時代に読んだ近代文学作家の中で特に感銘を受けたのは、筆者の場合、芥川龍之介と三島由紀夫の二人の文豪である。特に芥川の短編では『神神の微笑』、『羅生門』、『西方の人』、『或る日の大石内蔵助』などであった。それに遺稿となった作品『侏儒の言葉』の数々は箴言集とも言え、「芥川全存在の思想の推移の集約」という研究者もいる。本人は自殺直前のこの遺稿は必ずしも自分の思想を伝えるのもではない__としながらも例えば作品中で
*運命/運命は偶然より必然である。“運命は性格の中に在る”という言葉は決して等閑(いい加減)に生まれたものではない。
*女人/女人は我々男子には正に人生そのものである。即ち諸悪の根源である。
*人生/革命に革命を重ねたとしても、我々人間の生活は“選ばれたる少数”を除きさえすれば、いつも暗澹としている筈である。しかも“選ばれたる少数”とは”阿保と悪党“の異名に過ぎない__といった人間観察、形而下の俗界を洞察する切れ味鋭い悟性に感銘する。
芥川龍之介とラ・ロシュフコーとのアフォリズム(aphorism:鋭利な評言≒箴言)との関連性の興味深い研究は数多くあるが、短編『点心』という作品に、アメリカの作家アンブローズ・ビアス(Ambrose Bierce:1842~1913)ついて述べている箇所がある。芥川はビアスに対し、短編小説を組み立てさせれば彼ほどの技巧家は少ないこと、彼は批評や諷刺詩を書かせれば、辛辣無双な皮肉家であること、彼の毒舌に翻弄された結果、ポーランド系詩人が自殺を遂げたらしいこと、ビアスは同時代の作家の中では最もコスモポリタンだったことなどが述べられている。A.ビアスは南北戦争にも従軍した軍人であり、その後、作家、ジャーナリスト、コラムニストとして米英で活躍した。彼の最も著名な作品『悪魔の辞典』は箴言そのものではないが、アメリカ独立200周年記念として、この作品を「アメリカ文学最高傑作の一つ」に選んだくらいだ。多芸の作家であったビアスはアメリカにおける極めて影響力あるジャーナリストとしてエドガー・アラン・ポ—(Edgar Allan Poe)と並ぶ存在といわれている。その一部を記せば、
*外国語通/自国語以外の諸外国語には造詣が深いものの、自国語にはあまり通じていない輩。
*受け入れる/求婚の場合、相手の愛を受け入れるとは、後で何倍もの手痛い報いを受ける事。官職を受け入れるとは、ある程度不承不承なところを見せながら、厚かましく貪欲な報酬を受け取る事。果たし状を受け入れるとは、人間の生命の尊厳さを心から信じるものになる事。
*結婚式/二人の人間が一個の人間になろうと企て、その内の一人が無に等しい存在になろうと企て、無にも等しい存在が一緒にいても苦にならない者になろうと企てる儀式。
*子供時代/人間の生涯において、白痴も同然な幼少期と愚行に満ちた青年時代との中間に位置し、罪多き壮年時代からは二段階、悔い多き老年時代からは三段階、それぞれ隔たっている一時期のこと。
*熱狂/青年がかかり易い病気で、経験という外用薬を用いると共に、後悔という内服薬を少量づつ服用すれば治る病気。
*野心/生きている間は敵から悪しざまに言われ、死んでからは味方の者から物笑いにされるという、抑えようにも抑えることのできない激しい欲望のこと。
*慰め/自分より優れた者が、実は自分よりかえって不幸せでいる、と知ること。
「奥の細道文学賞」を受賞した畏友の紀行作家・本田成親は、『悪魔の辞典』が世に出て一世紀以上経つとして、『天使の辞典』を執筆中である。悪魔とはもともと天使の成れの果ての存在としつつ、その動機は、言葉というものは元来多重性を持つだけでなく、時の流れと共に刻々と変遷していく。一つの言葉に絶対不変の真理を求めても所詮それは無理であり、読み取る意味も人それぞれに異なるとして現代の箴言を発信している。未発刊だが2,3示せば、
*映像/端的にいうなら嘘の塊。昔「映像は嘘をつかない」ともてはやされたが、今はフェイク映像が常態化しており、真実の映像を求めようとする行為自体が愚行である。「嘘は万物の始まり」と「真実は万物の終わり」という発想の一大転換が求められる。
*死/人間にとって最悪の悲劇や最大の恐怖から逃れるため人間に許される唯一かつ決定的手段。「人生いろいろあったけど、死んでみるのはこれが初めて」という狂歌を遺言代りにして彼岸へと渡って行った先人もいる。
「箴言」にはその辛辣さ故に言葉の幻覚作用に陥る側面がある。一方で高い蓋然性、鋭い観察力、強い説得力に満ちた言葉が心に響くのは、自分自身を支えている哲学の底が、自分にも見えていないからだろう。或いはこの世で一番遠い場所は自分自身の心である、ともいえよう。
オーストリア出身の英国国籍者で『論理哲学論考』を著した哲学者L.ウイットゲンシュタイン(L.Wittgenstein)は、気難しくも「言語において重要なのは、語彙ではなく意味である。しかし言語だけではあらゆる種類の意味を表現できるわけではない」__と述べている。
(紺野大介、清華大学招聘教授・北京大学客座教授)
*以下に、紺野大介先生の略歴をご紹介いたします。
紺野大介(コンノ ダイスケ/Daisuke Konno)先生の略歴
紺野大介先生は、科学技術者、企業経営者、大学教授、論説随筆家、幕末維新史研究家等、多方面で卓越した業績を残し「知の巨人」として知られています。
1945年生まれ。東京大学にて流体力学・流体工学等、自然科学を学び、工学博士号を取得。また旧ソ連のモスクワ大学 数理統計研究所への留学経験も持ち、 更に野村Harvard Management Schoolにて「トップのための経営戦略講座」を修得する等、国際的な学識を深められました。
1999年までの長年にわたり、日本の大手企業二社にて新規事業本部長、研究開発本部長、取締役CTOなどの要職を歴任。企業活動と並行して、日本機械学会論文審査委員、通産省工業技術院の大型国家プロジェクト作業部会長、新潟市長顧問、新潟大学地域共同研究センター客員教授、更に日中科学技術交流協会常務理事を長年務め、中国要人ら国際的な橋渡し役としても尽力されました。
2000年以降は、1200名を超える第一級の専門家集団を束ね技術事業性評価を主目的とした公益シンクタンク「ETT」(創業支援推進機構)理事長兼CEOに就任、政府(経産省)系の国策会社「産業革新機構」初代取締役・産業革新委員を兼任、また社)次世代エネルギー研究開発機構CEOを併任。更に米国シリコンバレーVentureであるアルゴトチップ(ATC)社社外役員を兼務。他方、国政政党の要請に基づき与野党を問わず衆参国会議員へ国際情勢に関する講演も多数行ってきました。
学術面では、1994年より中国・清華大学摩擦学国家重点実験室(SKLT)招聘教授、2008年からは北京大学歴史学系中外関係史研究所(RICFRH)客座教授を務めており、中国を代表する両大学で教授職を持つ唯一の日本人でもあります。また国内では東大、東工大、慶応大、同志社大等の講師、財)松下政経塾・非常勤講師など歴任。現在、社)日本藍藻協会名誉会長、米国Dimaag-AI社の役員を兼務されています。
また、人文科学分野においても、紺野先生の業績は特筆すべきものがあります。幕末の志士による名著・橋本左内『啓発録』、吉田松陰『留魂録』、佐久間象山『省愆録(せいけんろく)』の英完訳書を22年かけ、幕末三部作として日本で初めて完成させました。これらの書籍は、世界中の大学・研究機関に無償で寄贈され、日本の精神文化を国際社会へ伝える役割を果たしています。 特に『啓発録』については、完成直後に当時の米国大統領 ビル・クリントン氏より感謝状が贈られています。
加えて、55年間で世界約70ケ国300都市をビジネスやアカデミアの所用で歴訪、ケンブリッジ大学(英国)を初め、欧州日本学研究所CEEJIA(フランス)等からの招聘により、日本人の倫理観、大和魂、美意識、謙虚さといったエートスについての講演も多数。その他、朝日選書 『中国の頭脳 清華大学と北京大学』(朝日新聞社)、『民度革命のすすめ』(東邦出版)、『音楽と工学の狭間で』(新樹社)等の著書があり、理系と文系を自在に行き来する知性を体現し続けておられます。以上。

